竹内 真の自転車少年記―あの風の中へ
を読みました。(^_^)
自転車の補助輪を外して始めて走ったところから始まっています。
自分が始めて自転車に乗ったことを思い出しますね。
最初は誰もそうだと思うのですが、補助輪をとって後ろを持って貰って放してふらふらしながら走れたって喜び^_^)
小学校の頃、今では坂に思えないところで坂がきつくて諦めた道
それまで、行動範囲は半径2キロくらいだったのが始めて、自転車で知らない道を走ったこと
いろいろ思い出されますね。
自転車で旅をしたいと持ったきっかけ
それは45年くらい前中学生の時に、裏磐梯の秋元湖で家族とキャンプをしたとき、東京から大学生が自転車でキャンプに来ていてそれを観て私も自転車で旅がしたいと思ったのがきっかけでした。
両親は高校に入ったらいいと言うので高校生になるのを待ってその夏、友達と松島まで行く計画をして学校にも計画書を提出
計画書をちゃんとだすなんて真面目だったんですね。(^_^;
出発一寸前になって、友達が急に行かないと言いだして、一人では許可も取り消されそうなので、そのまま一人で出発。
小学校の時に買ったジュニア車で行きました。
私がジュニア車を買った頃は5段が主流
カタログに10段のキャンピング車も載っていてあこがれでした。
本に出てくるようなスーパーカーライトや流れるフラッシャーが出てくるのは暫く後です。
私のは変速がトップチューブにあるオートマチックの変速みたいな変速機
計画書では松島までの往復
一日100キロ程度を考えていたのですが、一日で仙台の手前の閖上まで言ってしまいました。
計画では三日目に付く予定の松島も二日目の午前中に着いてしましました。(^_^;
帰るにはまだ早いと思い地図をみて金華山まで行くことにしました。
女川に着いたのは3時
そこから金華山を目指してコバルトラインを走ったのでは暗くなってしまうので、近くにテントを張ることにしました。
新興住宅地で家はまだ何件も建っていませんでした。
空いている土地にテントを張ろうと思って隣の家に確認をしたところ
「テントを張るのはかまわないけど良かったらうちに泊まりなさい」と言ってくれました。
甘えて泊めて貰うことにしました。
「洗濯物があったらだして」と言われたのですが流石に中学生の女の子がいる家に下地だけは出せなかったです(^_^;
カレーをご馳走になり次の日も「一緒に海水浴にいきましょう」と誘われたのですが辞退してコバルトラインを走りました。
5段変速で5人用のテントパニアバックでは流石にきつかったです(^_^;
もう二度と5段変速では来ないと思いました。
塩釜まで戻ってくると雨
素泊まりの宿を探して泊まることに
3畳の部屋を案内されました。
食事は覚えていません(^_^;
翌日仙台の七夕を観てきました。
七夕も目的の一つでした。
いままで平の七夕しか観たことが無かったのでその大きさ規模に少しびっくり(^_^)
退屈な6号線を南下
途中スイカを一つ買ってトップチューブに風呂敷でぶら下げて運びました。
相馬でキャンプ
一人でスイカを一つ割って食べました。
今考えると、あの自転車で一日170キロは結構走りましたね(^_^;
5段のジュニアー車では流石に無理と思い
高校二年の時に近くの自転車屋さんでサイクリング車を購入
それでも、今思うと鉄リムで重かったです。
房総半島変に続きます(^_^;
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