夢枕獏の神々の山嶺を読み終えました。
本当は早起きして仕事をしようと思っていたのですが、面白くてついつい最後まで読んでしまいました。(^^;
なぜ山に登るのかと聞かれたときに「そこに(山が)あるから」といったのはマロリーの言葉ですが、そのマロリーの死の謎が、その時持っていたカメラに入っているフイルムを現像すれば、マロリーがエベレストに登頂したかどうかが分かるということから、そのカメラが街で、発見されてるというストーリーを思いついてそれを話の核にして、書き始まったということです。
新田次郎の小説の中の山男たちもそうですが、山に魅せられて学生の頃は夢中になって山しかない生活を送るけれども、それが社会人になって生活があると、生活に縛られて山に行かなくなるものと、生活よりも山をとるものがいるという話だよね。
私は山登りはやりませんが、本にも書いてあるように山は麻薬のようなものかもしれませんね。
冬山は、死と直面しているのでその緊張感はやはりたまらないのでしょうね。
普段の生活がぬるま湯のように思えてしまうっていうのはわかるような気がします。
山の好きな仲間というと、自転車仲間だとPanaoやリチャードさんがいるよ。
こんな山の景色を見たんだろうなと思いながら読むのも楽しいよね。
トライアスロンをやっている人にどうしてそんなきついことをするのですかと聞かれた時に、「やってみれば解ります」と答えるのに似ているかもしれないですね。
もともとトライアスロンの始まった理由は、三人に集まって、どのスポーツがいちばんきついかという話になり、 1人が水泳、 1人が自転車、 1人がマラソンと言ったのが3つ一緒にやったらどうなるだろうということから始まったらしいです。
私の自転車の競技からトライアスロンのに移ったのは、人と争うよりも自分の限界を試してみたいというのが理由の一つです。
自分の限界を試してみたいというのは、山に通じるものがあるかもしれないね。
トライアスロンを始めた頃、ウェットスーツを作るのに大阪の城本さんのショップに電話しました。
その時に「佐渡であいましょう」と言われて、それで佐渡のトライアスロンに申し込みました。
スイムの時は魚が泳いでいるのが見えてとても気持ちよかったですが、バイクの途中で足の裏がこむら返りになってしまって、ペースダウンしてランに移った時は両足が痛くてびっこもひけなかったです。
でも走っているうちに治ってきて無事完走出来ました。きつかったけれどもほんとやり抜いたという実感はありました。
宿の階段は筋肉痛で這って上あがりましたが。笑
話は戻りますが夢枕獏がこの本を書いたときに出版社の人に「流行作家の椅子が15あるというのを事知ってますか?」と言われたそうだよ
そしてそれがいまひとつ空いているんでしようと言われたそうだよ。
山の作家の新田次郎先生が亡くなった頃で山の話を書いてみませんかという事だったらしいです。
今15日の流行作家というと誰だろうね?
東野圭吾は間違いなくその一人ですよね
夢枕漠の他の本も読んでみたくなりました。
でも図書館には10冊予約してのでそれを読んでから読んでみようかな。(^^)
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そのためか情景描写はもとより、
肉体描写とでもいいますか、
登場人物の体が動いていくさま、
たとえば歩いているシーン一つとっても、
映像が浮かぶようですよね。
わたしも大好きで、熱心に読んでました。