震災後、初めて牡鹿半島を走って来ました。
牡鹿半島は、高校一年生の時にに初めてサイクリングした思い出の場所です。
その時は小学校5年の時に買ってもらったJr車で5段変速でした。
トップチューブの上に車のギヤみたいにガチャンガチャンと変速します。 (^_^;A
それに五人用の三角テントとパニアバックをつけてはしりました。
今みたいに、軽い一人用なんてありませんでしたから (^_^;A
坂がきつくてもう二度と五段変速では来ないと心に固く誓いましたよ。笑
道路状況を石巻に単身赴任している阿部ちゃんに聞いて、阿部ちゃんも強制連行?です。 (^_^)
向かう途中、高速が福島飯坂から白石間が事故のため通行止めになってしまいました。
1時間遅れそうな感じになってしまいました。
一般道に降りたのだけれどもやはり凄い渋滞でナビを見ながら裏通りを探しました。
安比の帰り大雪で高速を下ろされたのを思い出します。 (^_^;A
裏道を通り国見町から白石インターへ向かう途中、ナビを見たら高速の通行止めが解除になっていたので少し戻って国見インターからまた乗りました。
石巻のイオンで阿部ちゃんと待ち合わせをしていたのだけれども、ナビが古いので1つ先で高速を降りたほうがいいかなと思ったら、通り過ぎていました。笑
待ち合わせ場所がどんどん遠くなるー (^_^;A
インターを下りて戻って15分ロスしてしまいました。
阿部ちゃんはもう待ち合わせ場所に着いて待っていてくれました。
8時出発の予定が結局9時半出発になってしまいました。
サンマのイベント会場マリンパル女川へ到着。
早いかなと思ったらもう人がたくさん出て居ました。
まずさんまのつみれ汁が無料でやっていたので、寄付金を入れて食べました。
ダシが出ていておいしかったです。 (^_^)
それからサンマガ1匹100円で売っていて自分で焼いて食べることが出来ました。
少し前まで200円はしていたそうです。
さんまも大きくて脂ものっていました。
ほんと安いですよね。
秋刀魚の歌を思い出しますね。
佐藤春夫 秋刀魚の歌
あはれ
秋風よ
情〔こころ〕あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉〔ゆふげ〕に ひとり
さんまを食〔くら〕ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま
そが上に青き蜜柑の酸〔す〕をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみてなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児〔こ〕は
小さき箸〔はし〕をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸〔はら〕をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
汝〔なれ〕こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒〔まどゐ〕を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証〔あかし〕せよ かの一ときの団欒ゆめに非〔あら〕ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児〔おさなご〕とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
係りの人が腑がやぶけるぐらい焼けるとちょうどいいよと教えてくれました。
炭で焼くので美味しいですよね
油が出て来て見るからにおいしく焼けました。
とても美味しくて私と阿部ちゃんは頭と骨以外はきれいに食べてしまいました。
みーさんは、おこちゃまなので
腑が苦くて苦手で食べられないという事でした。 (^_^;A
秋刀魚も堪能して出発
女川に到着すると、その代わり果てた女川の街のに唖然としてしまいました。
ニュースでは見たけれども、港の周辺は何もなくなっていました。
波が引いたときに倒壊したと言う鉄筋コンクリートの建物が横たわっていました。
高台に病院があるのだけれども、そこの1階まで水が上がったと阿部ちゃんが教えてくれました。
17メーター以上水が上がったと言うことで建物なら約6階分の高さです。
あまりに酷い状況に涙が浮かんでしまいました。
復興工事が始まっていて大型ダンプがひっきりなしに走っていきます。
しばらく走るとダンプも来なくなったけれども、道路はまだ所々震災の爪痕が残っていました。
途中20m以上水が上がった場所があり民家がすっかり無くなっていました。
20mってほとんど水没ですよね。 (/_;)
震災前に観た景色は全く違ってしまって居ました。
道路も工事をしていてひどいところは半分は工事のため舗装していませんでした。
結構暑くなったので、水分も補給しないとならないので自販機で水分補給です。
私はカロリーも採れるコーラにしました。
菅生サービスエリアで買ったパンも食べてエネルギー補給 (^_^)
スタートが遅れてしまったのと、阿部ちゃんが腰が痛くなってきたと言うので、鮎川までショートカットしようと思ったのですが工事中で通行止めになって居ました。
実際通れないかどうか私が見に行ったら、やはり工事の人がいて通行止めだと言われてしまいました。 (^_^;A
仕方ないので予定通り先端まで行くことにしました。
阿部ちゃんに「大丈夫?」と声をかけたら「大丈夫かと聞かれたら、大丈夫とは答えられない笑」と返事が返って来ました。 (^_^;A
オートキャンプ場がありました。
そこから金華山が近くに観えるので、そこで水分補給も兼ねて休憩です。
キャンプ場はシャワーなどが震災の後、まだ整備していないのでそれができるまで、オープンはできないとキャンプ場の人が話して居ました。
ケビンだけは使えると行っていました。
敷地内を一周して沢山空いているのに一杯だというのそう言う事だったのですね (^_^;A
キャンプをするには良い場所です。
自転車と合わせてコースを組むのには難しいですが (^_^;A
展望台まで上がったのですが、前にあった展望台の建物が無くなっていました。
震災で壊れてしまったのですね。
金華山が見える場所にベンチがあって先客が2人居ました。
そこから金華山が一望できるのでとても良かったです。
ここまで来た甲斐があったと言う感じがしました。
鮎川まで行くのにコバルトラインを少し通って鮎川に降りようと思ったのですが、道がありません。
犬を散歩させている人がいたので道を聞いたら、先ほど下って来た展望台の方へ行くしかないと言われてしまいました。
また登らなければならなくなってしまいました。
工事のおじさんもさっき行ったばかりで戻って来たと思ったでしょうね (^_^;A
ナビが教えてくれた道を気をつけて探してみたら草むらの道でした。
その道を降って行くのはちょっとリスクが大きいので引き返すことにしました。
変な道は佐渡で懲りています。
佐渡の時はかなり下って散々探して通行止めの先に道が見えているのに、どう頑張っても通れそうも無いのでまた坂を上って迂回しましたよ。 (^_^;A
展望台から鮎川まではずっと下りで、最初からこちらを選べばよかったです。
鮎川の街はすっかり変わってしまい海岸線は建物がありませんでした。
前に食べたお店も勿論ありません。 (/_;)
鮎川の被災した人たちが店をだしているしている牡鹿のれん街の行きました。
食事の店は何件かあったけど目的の黄金寿司に入りました。
海鮮丼が1,000円だったので阿部ちゃんもそれを注文しました。
あと、鯨の寿司が一貫200円だったのでそれも注文しました。
海鮮丼はネタがよくておいしかったです。
クジラがとウニが入っている2000円の海鮮丼もちょっと魅力だったのですが。 (^_^;A
ネタも良くて、ご飯もおいしかったです。
お店の人に牡鹿半島は自転車で走るのには向いていますか?と聞かれたので、初心者にはちょっときついかもと返事しました。
前の神保さんのこともあるしね。
帰る時にそこに居たおばあさんが「なにも変わってないよ。変わっていない」と言っていたのが印象的でした。
そこからゴールまではまたアップダウンの連続です。
阿部ちゃんは、道を知っているだけに大変だったみたいです。
腰が限界に来ていると言っていました。
日没までゴールするのは間に合わないいかがなと思ったのだけれども何とかギリギリでゴールすることが出来ました。
途中夕焼けが綺麗でした。
無事ゴールです
まずイオンで買い出しをしました。
本当はバーベキューをできるように準備してきたのだけれど、もう遅いので出来合いのものにしました。
まず汗を流すのに阿部ちゃんもお勧めのスーパー銭湯に行きました。
お風呂はいろんなお風呂があってよかったです。
値段は800円とちょっと高めだけどもね。
阿部ちゃんが教えてくれたテントを張れる場所を探したのだけれども結局見つからなくて、ナビで公園を探して行ってみました。
ところが道がどう見ても田んぼのあぜ道で、これでは引き返すこともできなくなってしまいそうなので、引き返したらその途中で別の道があって公園を見つけることが出来ました。 (^_^;A
その公園は野球のグランドがあってあとは何もなかったです。
トイレも仮設トイレがひとつと水道はなかったので、とにかくテントを張れるような場所を探して車のライトでテントを張りました。
一番良い所はバックネットの前なのですが、万が一朝一番の草野球の人らが来たら大変なのでそこは避けました。 (^_^;A
明かりが何もないので、小さい虫が明かりに集まってきてちょっと大変でした。
買ってきたものをつまみながらビールを飲んですぐに寝てしまいました。
風が吹いていて、テントがバタバタして何度も起きてしまいました。
ほんと、放浪者のようです。 (^_^;A
朝方、人の声がするなと思ったら草野球の人たちが集まってきました。まだ5時半なのにね。
予感は当たりでした。 (^_^;A
ユーミンの草野球の歌を思い出してしまいました。
雨が降る前に、撤収しなければならないと思い8時位にテントを片付けたのだけれども、草野球の人たちもそれぐらいで終わって帰り始めたました。
セブンで朝飯を買って石森正太郎の石ノ森マンガ館へ向かいました。
開館は9時からなのでちょっと時間があったので海岸の方へ行ってみました。
ニュースでは見ていたけれども津波でやられてもう何もありませんでした。
復興まではまだまだ時間がかかるだと感じました。
石ノ森漫画館へ戻ったのですが、まだ時間があったのでセブンでおまけでもらったカレースープを作ることにしました。
今回はコールマンのピークワンのガソリンストーブも持ってきたのでそれでお湯をを沸かすことにしたよ。
ちょっと使うのにはコンパクトで良いですね。
カレースープを作っている間に開館の時間となり、人も結構出てきました。
駐車場の脇には草むらもあってトイレや水もあったのでテントを貼るのはこちらの方がずっと良かったです。
明るい時に見るとテントを張れそうな場所はたくさんあったのだけれども、真っ暗ではとても気がつきません。
石森漫画館は建物の形もさすがにユニークな形をしていました。
駐車場からはスロープから登って行って二階から入りました。
受付の女の子もサイボーグ009の格好をしていました。
無料で入れる場所と有用のところがあってせっかく来たので800円を払って全部観る事にしました。
サイボーグ009の特別展を展示していました。
サイボーグ009は好きだったのでとても懐かしかったです。
あとアメリカと合同のアメコミの009についてもいろいろ展示してありました。
漫画家がたくさん住んでいたトキワ荘も模型でできておいてあってすごくリアルに作ってあってみーさんも関心ていました。
仮面ライダーの頭が初代からずーっと置いてあったのですが、 v3位までしか仮面ライダーは判らなかったです。
今も人気ですよね。
みーさんはフランソワ?笑
仕掛け時計も良いですね。
街の復興イベントもありました。
石森漫画館を後にして奥松島に向かいました。
奥松島は星守る犬のロケ地なのでそのホテルも目的地の一つです。
奥松島も津波でやられていてまだ復興の途中でした。
海水浴場も寂しそうです。
帰り道松島を通ったのですが、天気が悪いのに観光客はやはり有名なだけあってたくさん出ていました。
途中から豪雨になって、コンビニでトイレによるのもちょっと出ただけでかなり濡れてしまうような感じでした。
仙台に入り、仙台のビール祭りはの会場の近くのパーキングに停めたのだけれども係りの人が、前日はすごい暑かったのでよかったけれども、今日はみんなずぶ濡れですぐに帰ってきてしまうと話していました。
会場の入り口は水浸しになっていて、私はサンダルだったからよかったけれども靴の人はかわいそうなかんじでした。
この雨にもかかわらず人は結構出ていました。
昨日はこの倍以上はきっと出ていたでしょうね。
入り口でパンフレットもらったのだけれども、ドイツビールは300CCで1,500円もするところもあってとても高かったです。
ドイツでは水替わりに飲むくらいで、国でビールの値段が確か決められていたと思います。
以下転用
ドイツでビールは「国民の飲み物」ですから、誰もがいつでも買えるように低価格でなければなりません。銘柄により値段は少しずつ異なりますが、現在0.5リットルの瓶ビールは一本65セント(約97円)前後。※これに8セントのデポジットが加算され、瓶を返却するとお金が返ってきます。ビール税も、0.5リットルあたり4.3セント(約6.5円)と格安(ビールの種類、醸造所の規模により幅があります)。ちなみに日本では0.5リットルあたり約111円。
という事は50杯の値段ですよね (/_;)
田沢湖のビールが1番安くて500円でした。
普通紙コップで売っているのだけれども、ここはそのメーカーのちゃんとしたガラスのコップでビールが売っていたよ。ただ預かり金として1,000円とられてグラスを返すときに1000円戻してもらうような方式でした。
これはドイツでも同じようです。
この日限定のビールもあったのでみーさんはいろいろ飲んでいました。
私は運転手なので飲めません。 (/_;)
それから食べログでラーメンを探しました。
色々あったのですが、マイナスがあまり無いみずさわ屋にしました。
インターを通り越した所にありました。
こちらに来るのは初めてです。
仙台もシムシティのように街が広がっていますね。 (^_^;A
カウンターだけで若い人が多いですね。
この規模で厨房に4人ホールに二人の6人体制は凄いですね。
お勧めと書いてある、煮卵入り中華そばとチャーハンを注文しました
ラーメンは、ネットに書いてある通りどんぶりの淵までいっぱいでした。
チャーハンもまあまあでした。 (^_^)
[4回]
PR
今日は朝50キロ
夕方37キロ
結構距離が伸びて来ました。
まだまだ体調は戻りませんが、少しずつ戻したいですね。
読む本がなくなったので昔の本を引っ張り出して読んみました。
井上ひさしの青葉繁れるを読んだのですが、仙台が舞台なので懐かしいですね。
仙台は高校が男女別で一高二高三高とあって女子は一定二女三女とありました。
頭の一女、顔の二女、体の三女と言われていました。
大学1年の時下宿の向かいに三女に通っている高校1年生がいてとても可愛かったです。
顔を見るのが楽しみでしたよ。
3つ違いだからもういいよおばさんかおばあさんですね。
学生の頃は節約していたので、パンの耳を買った時もありました。
それは東北大の寮に入っている友達が1袋100円で売ってるんだと教えてもらったので1回だけ買ったことがありました。
普段は山崎のパンを1本買ってよくピザトーストにして食べていました。
学食ではほとんど食べたことがなくて、お弁当を作って持っていったり後は帰ってお昼を食べてまた学校に行きました。
途中から自転車仲間の高校生と一緒に一軒家で暮らして、ご飯やお弁当を作ってあげていました。
高校生の両親がお医者さんで県北に住んでいたので、子供を学校にやるために、建てた家でした。
夏休みはその子のお兄さんやお姉さんが帰ってきて泊まっていたので賑やかでした。
お兄さんはバンジョウに夢中になっていたので1日中バンジョウを弾いていました。
バンジョウは五月蝿いくらいでした。 (^_^;A
[2回]